笹生陽子.『ぼくらのサイテーの夏』

 最近趣味の方の読書ができていなかったのですが、それって結局自分が「できない」と思っているだけで、少しでも時間を作ろうと思えば簡単に「できる」ことなんだろうと思いなおし、再開しました。
 しかし読み始めるとこれだ。おもしろいとさっさとどんどん読んでしまう。仕事の合間なんかに読んでいたら、「ちょっとずつ」どころじゃなくなってしまいました。
 読んだのは、笹生陽子の児童文学デビュー作、『ぼくらのサイテーの夏』。

ぼくらのサイテーの夏 (講談社青い鳥文庫)

ぼくらのサイテーの夏 (講談社青い鳥文庫)

 表紙がやまだないとなのもいいよね。それにしてもやまだないとの描く栗田少年*1(右側)はかっこよすぎはしないかい?
 なかなかにいい話だったので、詳しくは省くとして、以下にその箇所引用。


 今更になって、児童文学から学んだ言葉。引用です。

 …、ひとつだけ、ぼくが思うのは、人生、そんなにおもしろおかしいものでなくてもいいってことだ。たとえ、胸が苦しくなるほどいやーなことがあったとしても、ひと月のうちに2回か3回、お腹を抱えて笑えるような、ゆかいなことがあったら、それで、なんとかやっていけると思う。*2

 桃井(主人公)のやつめ、結構深いことを言うなあ、と思いました。
 自分自身、今ちょっといろいろあったりして、他の人だって十分我慢したり苦労したりしているのは分かっているはずなのに、「なんでこんなことしなきゃならないだろう、もっと自分の好きなことをしたい」なんて思ってぐちぐちしてしまうことがあります。しかも私はそれを隠すということが下手なようなので、きっとまわりを相当嫌な気分にさせてしまうようなことをしているんじゃないかとも思います。申し訳ないとは思ってるんだけどねー…
 と、そんな時分にこんなことを、中学1年生の桃井少年なんぞに言われてしまっては、こちらとしては「そうっすね」とへへっと照れ笑いをするしかない。

 うん、確かに、嫌だなあと思うことはあっても、別にそれが24時間365日、いつもやってるってわけじゃない。いつかは何かしらの成果となって終わることではあるし、それに、友達といろいろなことを話したり、どこかへ出かけたり、好きな本を読んだり映画を見たり…いろいろ楽しいことだってある人生です。


 どれ、もうちょっとやってみるかと活を入れられた気分にもなりました。桃井少年、サンキュー。

*1:主人公が「サイテーの夏」と言うきっかけをつくった少年です。

*2:笹生陽子.『ぼくらのサイテーの夏』.東京,講談社,2005,p.167.(講談社文庫)